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- 第38回 (2022年) 碌々産業 社長 海藤 満 氏
- 「大企業が入ってこない隙間(ニッチ)市場を狙う」との経営戦略の下で、1996年に「微細加工機」という新しいジャンルを確立した。微細加工機事業を立ち上げから主導し、今では売上高の約8割を占めるまでに成長させた。2019年には、卓越した技術を持つ微細加工の職人を「エキスパート・マシニングアーティスト」として認定する制度を設けた。
- 第37回 (2021年) ファナック 会長 稲葉 善治 氏
- FA、ロボット、ロボマシンの3事業とサービスを一体化した「one FANUC」を社の基本指針とし、世界中の製造現場に貢献してきた。技術の高度化に取り組み、特にロボット事業を大きく発展させた。また、会社をよりオープンな組織に変革すると共に、2017年には製造業向けのオープンプラットフォーム「FIELD system」を立ち上げ、遅れていた日本のIoT技術の底上げにも貢献した。
- 第36回 (2019年) 北川鉄工所 会長兼社長 北川祐治 氏
- 金属素形材事業、産業機械事業、工作機器事業の3本柱で多角経営を推進する。2018年4月には事業部制を廃止し、独立採算性の強いカンパニー制を導入。意思決定をより迅速化し、企業としての安定性を高めた。摩擦接合機、理化学機器、医療機器、無人航空機などの新規事業にも積極的に挑戦する。地域貢献にも注力しており、府中商工会議所の会頭などの公職も兼務する。
- 第35回 (2018年) 岡本工作機械製作所 社長 石井常路 氏
- 「総合砥粒加工機メーカー」として、研削盤、半導体製造装置、歯車加工、鋳物の4事業を柱とした企業経営を推し進める。人生の半分に当たる30年間をタイで過ごし、タイ工場の用地探しから操業まで携わった。タイ工場で生産される鋳物は多くの日経工作機械メーカーに供給される。1987年に単身で乗り込んだタイで、業界の屋台骨となる鋳物事業を一から築いた功績は大きい。
- 第34回 (2017年) 富士機械製造 社長 曽我信之 氏
- 社長に就任して以来、スピード感のある経営を実践してきた。そのリーダーシップの強さが社内外で高く評価されている。主力事業の電子部品実装ロボットは世界トップクラスのシェアを堅持し、工作機械ではモジュール型という新しいコンセプトを採用した工作機械「DLFn(ドルフィン)」を市場投入した。新規事業にも積極的に取り組む。
- 第33回 (2016年) 株式会社東京精密 社長 吉田 均 氏
- 1983年に東京精密に入社して以来、長きにわたり測定分野に携わってきた。「計測社」と「半導体社」の社内カンパニー制の良さを生かしながら、それぞれの長所を“組み込ませ合う”ことに挑戦し、事業のさらなる拡大に取り組んでいる。日本精密測定機器工業会の会長も6年間務め、業界の発展に貢献した。
- 第32回 (2015年) 株式会社安川電機 会長兼社長 津田純嗣 氏
- 2015年に創業100周年を迎えた安川電機。そのリーダーとして、一世紀の歴史を受け継ぎながら「進化する会社」をスローガンに、事業展開をより加速させた。また、「人づくり推進室」と「多様性推進室」の両室長も兼任。社長と会長の業務の傍らで、社員との対話や女性社員の活用にも注力した。人材育成を最重視する経営姿勢は高く評価されている。
- 第31回 (2014年) 日進工具 取締役会長 後藤 勇 氏
- バブル崩壊後に業績が悪化する中、刃先径6mm以下の超硬小径エンドミルへの特化を決断。1991年の社長就任時は従業員数60人の町工場だったが、グローバル企業まで拡大させた。94年以降は、2000年前後のIT不況でも、リーマン・ショックでも黒字経営を維持。ジャスダックへの上場を果たした2004年11月には無借金経営を達成した。
- 第30回 (2013年) 大昭和精機 会長 北口 良一 氏
- 一代でBIGブランドを築き上げた卓越した経営手腕は評価が高い。それまで軽視されていた「工具刃先とツーリングの一体化」というコンセプトを重視した。また、刃先の心高や振れなど、現場の急所を現場の担当者の立場に立って改善した製品開発力には絶大な信頼が寄せられた。
- 第29回 (2012年) ツガミ CEO 西嶋 尚生 氏
- 2000年代初めに経営危機の状態にあったツガミを再建。都市銀行出身者として財務体質を根本から変革すると同時に、業界でもいち早く中国に進出し、中国ビジネスの成功例を築いた。また、中国事業の成功をビジネスモデルに、インド事業にも手を広げている。従来の日本の工作機械メーカーにない新時代の経営者として注目された。
※社名・役職は受賞当時のものです。なお記載の順序は受賞年順です。
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- 第28回 (2011年) 三菱マテリアル 社長 矢尾 宏 氏
- 複合事業体として多彩な素材を扱いながら、バランス良く事業展開する経営手腕は高く評価されている。米国の工具部門を立ち上げた人物として、工具業界でも有名人。米国赴任時代に今日の海外展開の礎を築いた。東日本大震災で大きな被害を受けたにも関わらず、早期に復旧し、業界に勇気を与えた。
- 第27回 (2010年) アマダ 社長 岡本 満夫 氏
- オーナー経営を引き継ぎ、それまで販売力の強さが目立ったアマダのかじ取りを、エンジニアリング力を備えた企業へと変えた。その一方、リーマン・ショック後に世界経済が縮小する中でも、グローバル化の急激な進展を見据えて国内外で積極的にM&Aや提携を進め、世界規模でソリューションセンターや販売、サービス、製造拠点を整備・拡大した。
- 第26回 (2009年) 山善 社長 吉居 亨 氏
- マーケットが地球的規模で広がりを見せる中、国際化に対応して海外拠点拡充などに注力。また、「グリーンボール・プロジェクト」などのECOへの取り組みへの評価も高い。伝統の「どてらい市」で先進的かつ独創的な製品提案を続け、これら新しい専門商社としての山善を、強いリーダーシップで引っ張っている。
- 第25回 (2008年) ナガセインテグレックス 社長 長瀬 幸泰 氏
- 世界をリードするナノテクノロジーの先駆者として、優れた製品開発力への評価は高い。超精密平面加工にとどまらず、その技術は非球面加工にも及び、京都大学・岡山天体物理観測所、国立天文台・すばる望遠鏡用のシュミット補正板の製作を研削加工だけで実現するなど、実績を上げた。
- 第24回 (2007年) アイダエンジニアリング 社長 会田 仁一 氏
- 1992年の社長就任以来、バブル経済の崩壊、平成大不況、ITバブルの興隆と崩壊という激動の時代で攻めの経営を打ち出してきた。90年以上の社歴の中で赤字決算はほとんどない。また、暗黙知の世界だったプレスの概念をダイレクトサーボフォーマーにより大きく塗り替え、金型の作り方を変えたと言われるULシリーズを開発した功績など。
- 第23回 (2006年) スギノマシン 社長 杉野 太加良 氏
- 核となる「流体応用技術」から多様な領域へ進出し、独創的な製品を創出した。ウォータージェットという独自性の高い技術を、時代に適合した製品として進化させ続けた。また、常に自社技術の歴史と未来を考慮した上で、時代の流れを先読みし、発展を実現する経営姿勢を貫いてきた。
- 第22回 (2005年) ブラザー工業 社長 平田 誠一 氏
- 独自性のある工作機械への着目と、市場シェアの高さが、高い評価を受けた。グローバル化の推進と、地域密着のマーケティング活動を展開した。また、OA機器メーカーとして、自らも工作機械ユーザーでもある利点を生かして製品を開発。お客さまを第一に考える「At your sideな企業文化」で、安心のブランドを定着させた。
- 第21回 (2004年) マーポス 社長 ステファーノ・ポッサティ 氏
- 工場内ライン計測の市場シェアの高さと、それを支える卓越した製品開発力を持ち、早くからグローバル化を推進し、計測業界をリードするメーカー。世界各地に現地法人を設立し、それぞれの地域に密着したマーケティング活動を展開した。日本市場に溶け込み、成功した欧米企業日本法人のフロンティア的存在。
- 第20回 (2003年) 日精樹脂工業 社長 依田 穂積 氏
- 射出成形機の国内市場で抜群のシェアを誇り、それを支える卓抜な製品開発力を培った。日精スクールの活動に象徴される、社会貢献を通した市場創造の種まきマーケティング活動の展開と実績も、高い評価を集めた。
- 第19回 (2002年) 安田工業 社長 安田 之彦 氏
- 「最大ではなく最高を目指す」の理念に基づき、日本にとどまらず、世界の頂点を目指した妥協のない製品開発を続けてきた。地道に培った技術力をマーケティング活動の大きな武器として最大限に活用。国内のみならず広く海外でも高精度技術に定評があり、YASDA製品を設備していること自体を一つのステータスシンボルにまで押し上げた。
※社名・役職は受賞当時のものです。なお記載の順序は受賞年順です。
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- 第18回 (2001年) トッキ 社長 津上 健一 氏
- 機械加工ラインのシステムインテグレーターという独自の企業基盤を築いた。また、「トッキFAエンジニアリング会」を組織して展開・発展させるなど、やはり独特のマーケティング活動を実践した。
- 第17回 (2000年) ゾティック 社長 古川 利彦 氏
- 放電加工技術における日本の草分け的存在。要素技術を含めて常に先駆的技術開発を進め、「世にない物は自分で作る」とばかりの開発姿勢は業界でも突出していた。また、早い時期から海外市場の開拓、現地法人の設置、生産の海外シフトを進めた先見性は、グローバル時代を先取りしていた。
- 第16回 (1999年) 森精機製作所 会長 森 幸男 氏
- 群雄割拠する工作機械業界で、いわば新興勢力だったメーカーを、先発メーカーをしのぐ実績を重ねてトップグループに到達させた。また、グローバル戦略の礎を築いた。業界の通例に左右されない独自の理念と明快な戦略による経営手腕もさることながら、「優れた後継者(長男である森雅彦、現DMG森精機社長)を育てた」手腕も高い評価を集めた。
- 第15回 (1998年) シチズン時計 社長 春田 博 氏
- 時計メーカーの一部門である精機事業部を、小型工作機械で日本の中核を占めるまでに存在感を高めた功績が光る。バブル経済崩壊後の厳しい状況下で、高精度、高品質、高速加工、短納期、低価格化のニーズをとらえ、「Cincomシリーズ」で次々に新製品を投入し、市場に活を吹き込んだ。
- 第14回 (1997年) 三菱電機 常務 亀田 博 氏
- PLCやインバーターなどの機器事業部と、CNCや放電加工機、レーザ加工機、ロボットなどの産業メカトロニクス事業部、FA海外事業部の3事業部からなるFAシステム事業本部を率いた。入社と同時にその母体ができた機器事業の第1期生として、基盤作りに貢献し、強力な代理店網を作り上げたほか、総合電機メーカーの強みを発揮した製品開発に注力した。
- 第13回 (1996年) THK 社長 寺町 博 氏
- それまで困難と言われていた機械の直動運動部のころがり化を独自の技術力で実現し、直動システム「LMガイド」を製品化した。日本だけでなく、世界のメカトロニクス産業に一段高い高速・高精度化の流れを起こし、その技術革新への貢献度は計り知れない。事業化と発明家の2つの顔を持ち、特許は国内だけでも600件以上を所有する。
- 第12回 (1995年) オーエスジー 社長 大沢 輝秀 氏
- 1968年、米シカゴに設置したOTD(OSG Tap&Die)は、日本の切削工具メーカーの米国現地法人第1号。その設立を先導した。強力な販売流通システムとサービス体制を確立したほか、マーケティング・ミックスによる多角的な新商品を開発し市場に展開した。いち早くリストラに着手したり、製販一体化で不況抵抗力を強めるなど、経営センスも高い。
- 第11回 (1994年) ユアサ商事 社長 湯淺 輝久 氏
- 社歴300年以上の老舗企業のリーダーとして、企業革新を唱えてFA流通機構の大改革を行った。商社としてトップクラスの技術力を積極的に培い、FA商社のシステムインテグレーター機能を率先垂範で取り入れた。エンジニアリング商社として、システム開発、販売でイニシアチブを取った。
- 第10回 (1993年) 日研工作所 社長 松本 政一 氏
- 日本の工作機械の発展に不可欠なツーリングにおける草分け的存在。ツーリングの一筋に社業の精励し、工作機械業界発展のために尽力した。自身の体験に根ざした先見力、経営指針、強力なリーダーシップは、産業界が激動の時代にあったバブル経済崩壊後の業界でもひときわ大きな存在感を発揮した。
- 第9回 (1992年) ダイフク 社長 増田 昭一郎 氏
- 運搬機械メーカーのダイフクから、創造物流機器メーカーのダイフクへと企業を発展させた。チェーンコンベアへの進出、ボウリング機械の製造と縮小、立体自動倉庫の開発などFA化時代に調和した製品を開発し、商品レンジを広げてきた。マーケットの拡大と質的な変化に対し、的を射た追随性を持ち合わせた。
※社名・役職は受賞当時のものです。なお記載の順序は受賞年順です。
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- 第8回 (1991年) 豊田工機 社長 加藤 東洋 氏
- 1985年にデミング実施賞を受賞したのをベースに、88年にPM(Productive Maintenance)優秀事業場賞を受賞。現在はTPM(Total PM)にも挑戦中。「人が主役の品質第一のFA」をモットーに「技術の豊田工機」の伝統を生かした企業づくりで、転換点に立つ製造業の新しい方向性を示唆した。
- 第7回 (1990年) レニショー 社長 D.マクマートリー 氏
- タッチプローブ技術を確立し、それを世界に展開。日本に進出する英国企業がほとんどなかった1982年に、日本に子会社を設置し、製品の提供を開始。日本の厳しいニーズに応えながら、きめ細やかなアフターサービスにも努め、タッチプローブ技術を浸透させた。
- 第6回 (1989年) オムロン 社長 立石 義雄 氏
- 1950年代後半からリレーやリミットスイッチ、タイマーなどの自動制御機器の事業展開を始め、産業界の方向を自ら予測、戦略化し、市場を創造した。日本の省力化、自動化の先駆的役割を果たすとともに、長期リフレッシュ休暇3カ月など社員一人一人を大切にするユニークな経営を展開した。
- 第5回 (1988年) ヤマザキマザック 社長 山崎 照幸 氏
- 1963年に米国向けに普通旋盤の大量輸出を始めたのをきっかけに、次々に斬新で思い切った国際的なマーケティングを展開。現地との調和をより重視し、今日の厳しい国際環境の中で、FA化への大胆な実践とあいまって一つのモデルケース的な企業に成長させた。85年にSME国際賞受賞、88年秋に藍綬褒章受章。
- 第4回 (1987年) ミツトヨ 社長 沼田 智秀 氏
- 精密測定機器を国産化し、それを全世界に輸出するという目標を掲げ、さまざまな製品を開発しながら、アフターサービスの体制を整備し、販路を広げてきた。1971年から85年まで社長を務め、ドルショック、オイルショックなど激動の経済環境下で、同社の飛躍的経営拡大を果たし、世界的メーカーとしての基盤を不動のものにした。
- 第3回 (1986年) オークマ 社長 大隈 武雄 氏
- 1960年代からNC機の開発に着手し、自社製のNC装置OSPを開発。機電一体メーカーとして、高性能な工作機械を開発してきた。また、幾度にもわたる厳しい経営環境を乗り越え、世界トップクラスの工作機械メーカーに育てあげた。
- 第2回 (1985年) 牧野フライス製作所 会長 清水 正利 氏
- 1958年にNCフライス盤を、66年にマシニングセンタを開発。独自技術を培い、高精度な工作機械を提供してきた。なかでも、金型メーカーへのアプローチを強め、金型業界の発展に大きく寄与した。金型業界の発展性を見通して1958年、他社に先駆けて同業界向けに割賦販売を始め、同社の経営基盤を固めた。
- 第1回 (1984年) ファナック 社長 稲葉 清右衛門 氏
- 富士通の計算制御部から分離独立したファナックを、一代で数値制御装置(NC)のトップメーカーとして育て上げた。技術者として数値制御と電気油圧パルスモーターを活用した国産NCの開発を主導した。経営者としては、メーカーとして驚異的な利益率の高さを誇るビジネスモデルを構築した。
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- 第30回 (2013年) 大昭和精機 会長 北口 良一 氏
- 一代でBIGブランドを築き上げた卓越した経営手腕は評価が高い。それまで軽視されていた「工具刃先とツーリングの一体化」というコンセプトを重視した。また、刃先の心高や振れなど、現場の急所を現場の担当者の立場に立って改善した製品開発力には絶大な信頼が寄せられた。
- 第29回 (2012年) ツガミ CEO 西嶋 尚生 氏
- 2000年代初めに経営危機の状態にあったツガミを再建。都市銀行出身者として財務体質を根本から変革すると同時に、業界でもいち早く中国に進出し、中国ビジネスの成功例を築いた。また、中国事業の成功をビジネスモデルに、インド事業にも手を広げている。従来の日本の工作機械メーカーにない新時代の経営者として注目された。
- 第28回 (2011年) 三菱マテリアル 社長 矢尾 宏 氏
- 複合事業体として多彩な素材を扱いながら、バランス良く事業展開する経営手腕は高く評価されている。米国の工具部門を立ち上げた人物として、工具業界でも有名人。米国赴任時代に今日の海外展開の礎を築いた。東日本大震災で大きな被害を受けたにも関わらず、早期に復旧し、業界に勇気を与えた。
- 第27回 (2010年) アマダ 社長 岡本 満夫 氏
- オーナー経営を引き継ぎ、それまで販売力の強さが目立ったアマダのかじ取りを、エンジニアリング力を備えた企業へと変えた。その一方、リーマン・ショック後に世界経済が縮小する中でも、グローバル化の急激な進展を見据えて国内外で積極的にM&Aや提携を進め、世界規模でソリューションセンターや販売、サービス、製造拠点を整備・拡大した。
- 第26回 (2009年) 山善 社長 吉居 亨 氏
- マーケットが地球的規模で広がりを見せる中、国際化に対応して海外拠点拡充などに注力。また、「グリーンボール・プロジェクト」などのECOへの取り組みへの評価も高い。伝統の「どてらい市」で先進的かつ独創的な製品提案を続け、これら新しい専門商社としての山善を、強いリーダーシップで引っ張っている。
- 第25回 (2008年) ナガセインテグレックス 社長 長瀬 幸泰 氏
- 世界をリードするナノテクノロジーの先駆者として、優れた製品開発力への評価は高い。超精密平面加工にとどまらず、その技術は非球面加工にも及び、京都大学・岡山天体物理観測所、国立天文台・すばる望遠鏡用のシュミット補正板の製作を研削加工だけで実現するなど、実績を上げた。
- 第24回 (2007年) アイダエンジニアリング 社長 会田 仁一 氏
- 1992年の社長就任以来、バブル経済の崩壊、平成大不況、ITバブルの興隆と崩壊という激動の時代で攻めの経営を打ち出してきた。90年以上の社歴の中で赤字決算はほとんどない。また、暗黙知の世界だったプレスの概念をダイレクトサーボフォーマーにより大きく塗り替え、金型の作り方を変えたと言われるULシリーズを開発した功績など。
- 第23回 (2006年) スギノマシン 社長 杉野 太加良 氏
- 核となる「流体応用技術」から多様な領域へ進出し、独創的な製品を創出した。ウォータージェットという独自性の高い技術を、時代に適合した製品として進化させ続けた。また、常に自社技術の歴史と未来を考慮した上で、時代の流れを先読みし、発展を実現する経営姿勢を貫いてきた。
- 第22回 (2005年) ブラザー工業 社長 平田 誠一 氏
- 独自性のある工作機械への着目と、市場シェアの高さが、高い評価を受けた。グローバル化の推進と、地域密着のマーケティング活動を展開した。また、OA機器メーカーとして、自らも工作機械ユーザーでもある利点を生かして製品を開発。お客さまを第一に考える「At your sideな企業文化」で、安心のブランドを定着させた。
- 第21回 (2004年) マーポス 社長 ステファーノ・ポッサティ 氏
- 工場内ライン計測の市場シェアの高さと、それを支える卓越した製品開発力を持ち、早くからグローバル化を推進し、計測業界をリードするメーカー。世界各地に現地法人を設立し、それぞれの地域に密着したマーケティング活動を展開した。日本市場に溶け込み、成功した欧米企業日本法人のフロンティア的存在。
※社名・役職は受賞当時のものです。なお記載の順序は受賞年順です。
過去の受賞者
過去の受賞者
- 第20回 (2003年) 日精樹脂工業 社長 依田 穂積 氏
- 射出成形機の国内市場で抜群のシェアを誇り、それを支える卓抜な製品開発力を培った。日精スクールの活動に象徴される、社会貢献を通した市場創造の種まきマーケティング活動の展開と実績も、高い評価を集めた。
- 第19回 (2002年) 安田工業 社長 安田 之彦 氏
- 「最大ではなく最高を目指す」の理念に基づき、日本にとどまらず、世界の頂点を目指した妥協のない製品開発を続けてきた。地道に培った技術力をマーケティング活動の大きな武器として最大限に活用。国内のみならず広く海外でも高精度技術に定評があり、YASDA製品を設備していること自体を一つのステータスシンボルにまで押し上げた。
- 第18回 (2001年) トッキ 社長 津上 健一 氏
- 機械加工ラインのシステムインテグレーターという独自の企業基盤を築いた。また、「トッキFAエンジニアリング会」を組織して展開・発展させるなど、やはり独特のマーケティング活動を実践した。
- 第17回 (2000年) ソディック 社長 古川 利彦 氏
- 放電加工技術における日本の草分け的存在。要素技術を含めて常に先駆的技術開発を進め、「世にない物は自分で作る」とばかりの開発姿勢は業界でも突出していた。また、早い時期から海外市場の開拓、現地法人の設置、生産の海外シフトを進めた先見性は、グローバル時代を先取りしていた。
- 第16回 (1999年) 森精機製作所 会長 森 幸男 氏
- 群雄割拠する工作機械業界で、いわば新興勢力だったメーカーを、先発メーカーをしのぐ実績を重ねてトップグループに到達させた。また、グローバル戦略の礎を築いた。業界の通例に左右されない独自の理念と明快な戦略による経営手腕もさることながら、「優れた後継者(長男である森雅彦、現DMG森精機社長)を育てた」手腕も高い評価を集めた。
- 第15回 (1998年) シチズン時計 社長 春田 博 氏
- 時計メーカーの一部門である精機事業部を、小型工作機械で日本の中核を占めるまでに存在感を高めた功績が光る。バブル経済崩壊後の厳しい状況下で、高精度、高品質、高速加工、短納期、低価格化のニーズをとらえ、「Cincomシリーズ」で次々に新製品を投入し、市場に活を吹き込んだ。
- 第14回 (1997年) 三菱電機 常務 亀田 博 氏
- PLCやインバーターなどの機器事業部と、CNCや放電加工機、レーザ加工機、ロボットなどの産業メカトロニクス事業部、FA海外事業部の3事業部からなるFAシステム事業本部を率いた。入社と同時にその母体ができた機器事業の第1期生として、基盤作りに貢献し、強力な代理店網を作り上げたほか、総合電機メーカーの強みを発揮した製品開発に注力した。
- 第13回 (1996年) THK 社長 寺町 博 氏
- それまで困難と言われていた機械の直動運動部のころがり化を独自の技術力で実現し、直動システム「LMガイド」を製品化した。日本だけでなく、世界のメカトロニクス産業に一段高い高速・高精度化の流れを起こし、その技術革新への貢献度は計り知れない。事業化と発明家の2つの顔を持ち、特許は国内だけでも600件以上を所有する。
- 第12回 (1995年) オーエスジー 社長 大沢 輝秀 氏
- 1968年、米シカゴに設置したOTD(OSG Tap&Die)は、日本の切削工具メーカーの米国現地法人第1号。その設立を先導した。強力な販売流通システムとサービス体制を確立したほか、マーケティング・ミックスによる多角的な新商品を開発し市場に展開した。いち早くリストラに着手したり、製販一体化で不況抵抗力を強めるなど、経営センスも高い。
- 第11回 (1994年) ユアサ商事 社長 湯淺 輝久 氏
- 社歴300年以上の老舗企業のリーダーとして、企業革新を唱えてFA流通機構の大改革を行った。商社としてトップクラスの技術力を積極的に培い、FA商社のシステムインテグレーター機能を率先垂範で取り入れた。エンジニアリング商社として、システム開発、販売でイニシアチブを取った。
※社名・役職は受賞当時のものです。なお記載の順序は受賞年順です。
過去の受賞者
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- 第10回 (1993年) 日研工作所 社長 松本 政一 氏
- 日本の工作機械の発展に不可欠なツーリングにおける草分け的存在。ツーリングの一筋に社業を精励し、工作機械業界発展のために尽力した。自身の体験に根ざした先見力、経営指針、強力なリーダーシップは、産業界が激動の時代にあったバブル経済崩壊後の業界でもひときわ大きな存在感を発揮した。
- 第9回 (1992年) ダイフク 社長 増田 昭一郎 氏
- 運搬機械メーカーのダイフクから、創造物流機器メーカーのダイフクへと企業を発展させた。チェーンコンベアへの進出、ボウリング機械の製造と縮小、立体自動倉庫の開発などFA化時代に調和した製品を開発し、商品レンジを広げてきた。マーケットの拡大と質的な変化に対し、的を射た追随性を持ち合わせた。
- 第8回 (1991年) 豊田工機 社長 加藤 東洋 氏
- 1985年にデミング実施賞を受賞したのをベースに、88年にPM(Productive Maintenance)優秀事業場賞を受賞。現在はTPM(Total PM)にも挑戦中。「人が主役の品質第一のFA」をモットーに「技術の豊田工機」の伝統を生かした企業づくりで、転換点に立つ製造業の新しい方向性を示唆した。
- 第7回 (1990年) レニショー 社長 D.マクマートリー 氏
- タッチプローブ技術を確立し、それを世界に展開。日本に進出する英国企業がほとんどなかった1982年に、日本に子会社を設置し、製品の提供を開始。日本の厳しいニーズに応えながら、きめ細やかなアフターサービスにも努め、タッチプローブ技術を浸透させた。
- 第6回 (1989年) オムロン 社長 立石 義雄 氏
- 1950年代後半からリレーやリミットスイッチ、タイマーなどの自動制御機器の事業展開を始め、産業界の方向を自ら予測、戦略化し、市場を創造した。日本の省力化、自動化の先駆的役割を果たすとともに、長期リフレッシュ休暇3カ月など社員一人一人を大切にするユニークな経営を展開した。
- 第5回 (1988年) ヤマザキマザック 社長 山崎 照幸 氏
- 1963年に米国向けに普通旋盤の大量輸出を始めたのをきっかけに、次々に斬新で思い切った国際的なマーケティングを展開。現地との調和をより重視し、今日の厳しい国際環境の中で、FA化への大胆な実践とあいまって一つのモデルケース的な企業に成長させた。85年にSME国際賞受賞、88年秋に藍綬褒章受章。
- 第4回 (1987年) ミツトヨ 社長 沼田 智秀 氏
- 精密測定機器を国産化し、それを全世界に輸出するという目標を掲げ、さまざまな製品を開発しながら、アフターサービスの体制を整備し、販路を広げてきた。1971年から85年まで社長を務め、ドルショック、オイルショックなど激動の経済環境下で、同社の飛躍的経営拡大を果たし、世界的メーカーとしての基盤を不動のものにした。
- 第3回 (1986年) オークマ 社長 大隈 武雄 氏
- 1960年代からNC機の開発に着手し、自社製のNC装置OSPを開発。機電一体メーカーとして、高性能な工作機械を開発してきた。また、幾度にもわたる厳しい経営環境を乗り越え、世界トップクラスの工作機械メーカーに育てあげた。
- 第2回 (1985年) 牧野フライス製作所 会長 清水 正利 氏
- 1958年にNCフライス盤を、66年にマシニングセンタを開発。独自技術を培い、高精度な工作機械を提供してきた。なかでも、金型メーカーへのアプローチを強め、金型業界の発展に大きく寄与した。金型業界の発展性を見通して1958年、他社に先駆けて同業界向けに割賦販売を始め、同社の経営基盤を固めた。
- 第1回 (1984年) ファナック 社長 稲葉 清右衛門 氏
- 富士通の計算制御部から分離独立したファナックを、一代で数値制御装置(NC)のトップメーカーとして育て上げた。技術者として数値制御と電気油圧パルスモーターを活用した国産NCの開発を主導した。経営者としては、メーカーとして驚異的な利益率の高さを誇るビジネスモデルを構築した。
※社名・役職は受賞当時のものです。なお記載の順序は受賞年順です。